闇があるから光がある。
過去の私は鬱と戦っていて、なんとか自分を変えようと模索し続けた結果、自分を動けなくして縛り付けている物が何かを知った。
鬱に落ちるきっかけは過去の嫌な出来事や傷ついた言葉、自分を否定する人達だ。
そしてその嫌なことを考え続けて、自分で自分を自己否定する行為こそが自分を動けなくしていると気がついた。
地獄から脱出するために光は必要だったと思うけど、真っ暗な暗闇に光は強すぎる。
強い光は眩しくて、怖くて目を開けられないのだ。
鬱だった時、私はポジティブなものが無理だった。
だからあえてネガティブを考えた。
嫌な出来事をあえてブログに書くことで、インターネットラジオで話すことで、わたしはやっと過去を咀嚼することが出来た。
ようやく過去を飲み込めた。
暗闇に小さなろうそくを灯すような作業を繰り返し、私は鬱から抜け出した。
でもある日、私はブログを書けなくなってしまった。
「ポジティブなことや感謝以外の言葉は電波に乗せてはいかない。こっちの波動が下がる」と言われた。
次元が高い(?)人達にとってはそれは当たり前のことなんだろうけど、当時の私にとってはショックだった。
あえてネガティブを書くことで乗り越えていくという私の大前提の考えを否定されたと感じたからだ。
私がやっていることは愚痴を垂れ流している毒母と同じなのか?私は母みたいになりたくないと怖くなり、書けなくなった。
だけど、そもそも私はこのブログは誰の為に書き始めたのか。原点に戻って考えてみた。
鬱だった私自身の為だ。そしてもしかして同じような思いをして苦しんでいる誰かが読んでくれるかもしれないと思ったから書いたのだった。
だったら、このままでいいじゃんと思い直すことが出来た。
私はわたしのままでいい。
無理にポジティブ全開になる必要はないのだ。無理して笑い続けた結果、鬱になったのだから。
ネガティブな出来事を乗り越えることで前に進めた。
私の中の怒り、やるせない悲しみが私の原動力となった。
鬱を受け入れた時に初めて私は鬱から抜け出すことが出来た。
私は私のネガティブな部分も受け入れる。今はこのままでいい。
頭でわかっていても前進めない時、堂々巡りの日々から抜け出すために手を動かす。
ゆっくりと時間をかけて、自然と前に進む。
他人と比べず、周りの声に惑わされず、自分の心を守って、自分らしく生きる。
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