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また鬱が再発して統合失調症になりかけて、やっと気づいた大切なこと2

2021年1月19日 in about me - No Comments

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鬱が悪化し、被害妄想と幻聴が現れた私。
「あっ…これやばいやつだ」
統合失調症になりかけていることに自分で気がつき、精神病院に行くことにしました。

前に死にたくなった時、頑張って頑張って勇気を振り絞って、心療内科に予約の電話したら「予約は半年後になります」と言われ、ブッチっと途中で電話を切られたことがあり、そのことを思い出してしまい、かなり気が進みませんでした。

スマホで良さそうな精神病院(私の経験上、統合失調症は心療内科ではなくて精神病院に行かされるから)を探し始めましたが、私はふと考え、途中で精神病院を探すのをやめました。

なぜなら統合失調症を患っている私の妹は7年以上、父にいたっては30年以上、病院に通って毎日薬を飲んでいますが、良くなっていないからです。

たしかに薬を飲んでいれば、奇声を上げたり、意味不明な異常行動をとったりすることは抑えられますが、たぶん二人とも今でも被害妄想と幻聴にとらわれています。

なぜか私はあの瞬間、ものすごく冷静でした。

父や妹のあの異常な状況を思い出した時、私は自分の症状と状況を真上から俯瞰しているようなそんな感覚になり、私は我に帰りました。

とりあえず、前回鬱から回復した時と同じようにまずは自分の症状を受け入れようと決めました。

ノートに自分の感情、考えなどなんでもいいから書き始めました。

結局、私は他人の目を気にしすぎ、他人に振り回されて勝手に自分で不幸になっていたことに気づいたのです。

隣人の深夜の音楽が気になる背景には、うちの子(5歳男児)が昼間うるさいせいで嫌がらせされているのではないかという自己否定が根底にありました。他人から非難されることを私は異常に恐れていたのです。

これは私の持論ですが、統合失調症はあまりに強い自己否定が現れた時、自分の心を守るために発症するのではないかと思っています。

私の場合、隣人の音量の音楽が聞こえてくるたびに、「やっぱりうちの子の足音がうるさいせい?」「いくら言っても静かにできないのは私の言い方が悪いせいなの?」と自問自答と自己否定を続けてきました。24時間鳴り響き続ける音楽。24時間毎日無意識に自己否定し続けてきた結果、それは被害妄想となり、幻聴となって現れたのでした。

そして私は、思い通りにいかない時の耐性がものすごく低いということにも気がつきました。

私は行動を起こす前に、まずは心から変わる必要があった。

いくら頑張って行動を起こしても、自分の思い通りにならなかった時にいちいち心が折れてしまう。

嫌なことがあると、執着して、そのことばかり考えてしまう。そこが変わっていない。

だから鬱が治っても、結局何度も鬱を繰り返してしまっていたんだなと気がつきました。

頭ではわかっていても、結局他人軸から抜け出せずに、周りの人や起こる出来事に振り回されている。

いくら「私は変わるんだ」って強く決意しても、元の自分に戻ってしまう。

なぜ元に戻ってしまうのか。元の自分に戻らない方法はないのかと模索していたら、ついに自分の心にしっくりくる答えを見つけました。

それは「集合的無意識」です。

アダルトチルドレンである私の幼少期はあまり幸せなものではありませんでした。幸せや安らぎを感じることのなかった「あの家」で植え付けられた「悪意」「諦め」「不安」。

私の「集合的無意識」は不幸なんだと感じました。「自分は幸せになる」と常に意識し続けなけば、普通に生きているだけでは、私の無意識は勝手に不幸に向かってしまう。

そこに気がついた私は、怪しすぎてずっとスルーしていたアファメーションを始めました。

「私は私が幸せになることを認めます」「私が今いる場所は、温かく安心できる場所です」「私はどんどん幸せになっていきます」などの言葉をノートに綴り、声に出して読み、録音し、寝起きに繰り返し聞きました。

するとたった1週間くらいで、「集合的無意識」は書き換わり始めたようで、私の心は安定してきました。

前に鬱になった時は、すごく苦労して、努力して頑張って行動して、2年半もかけて鬱から回復したのに。

結局、散歩や運動、食事などの生活習慣をいくら整えても、心に傷や闇を抱えているなら、その問題を解決しない限り、鬱はまたやってくる。

過去に鬱から回復して、また鬱になってを繰り返してきた私がたどり着いた私なりのひとつの結論です。

 

私は鬱になり、その時自分が鬱であることを認め、鬱を受け入れました。この憂と共に生きていくと心に決め、このブログ「鬱でも生きてく」を始めました。

そして、時は経ち、私から「鬱」というラベルを剥がす時が来ました。

元気になった頃にある人から言われた言葉「かもめちゃんは鬱になりやすいから、気をつけたほうがいいね」。

心配して言ってくれたこの言葉。鬱から回復した私にとって呪いの言葉になっていたんだと気がつきました。

「鬱にならないように気をつけよう」一見良さそうな言葉なのに、なぜかまた鬱に向かっていったのです。

でも何も考えずにいても、無意識は不幸に向かってしまう。

だからこれからの私はいつもご機嫌で、心地よくて、幸せな自分を目指して生きていくことに決めました。

「鬱」のラベルを剥がして、どんなラベルを貼ろうかなと考えて、「ご機嫌な暮らし研究家」という名前をつけました。

嫌なことがあったら、どうしたら心地よく過ごせるか、ご機嫌に暮らせるかを研究していくのです。

なのでこのブログの名前も「鬱でも生きてく」から「ひとかけらのチョコレートと幸福」という名前に変えました。

ドメインにustuというワードが入っているから、どうしようと思ったけど、ずっと更新していなかった数ヶ月の間でも100人近くの人が読んでくれていたので、そのまま残すことにしました。ありがとうございます。

鬱だった経験があるから今の私がいる。あんなに苦しくて辛かった鬱が今、私の誇りになりつつあります。

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Kamome

毒親育ちのアダルトチルドレン。鬱になり、約2年半の引きこもり後、なんとか回復するも、また再発。何度も鬱再発を繰り返す自分と向き合い、本気で自分を変えたアラフォー主婦。行動主義でしたが、行動を変えるだけは「人は簡単には変われない」と実感。変わるためには自分自身の本質的な部分を変える必要があったことに気がつきました。一番大切なのは自分の気持ち。「どんな風に生きたいのか」「どんな人になりたいのか」自分の中の潜在意識を変え、「無意識に幸せな人生を選択できるように」私は生まれ変わりました。 Read More

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